| 黒い本 |
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| 第一話 |
私は井之妖彦(いの・あやひこ)。怪奇物を書いてる作家である。他人からは完全なるアル中だとはなはだ評判良くないが、そんな話はどうでも良い。
私がその本を見つけたのは、神田神保町の片隅にある、古びた古書店だった。ぶらり冷やかしに入ったその店のカウンターに置いてあったのだった。
《ご自由にお持ちください。ただしいかなることがあろうとも、返本は不可。何が起ころうとも当店は一切責任を持ちません》
こう書いてあって、興味を惹かれない者が居るだろうか。
「すみません。これって、ほんとうにタダで頂けるんですか?」
半ば死んでいたのか眠っていたのかわからない雰囲気の初老の店主に声をかけた。
「ん? ああ、但し書きを守れるならね」
「もちろんです。誓ってもいい」
「みんなそう言うんだよ。そのくせ、しばらくすると血相を変えて、返しに来る。強引に置いていく輩などましなほうだ。中には被害を被ったから訴えてやるなどと、騒ぎ立てたり、逆ギレする奴もいるくらいだ」
こうまで言われて、引き下がれる者が居るだろうか。
私は自らの手帳を取りだして、いかなる理由があろうと返さない、クレームはつけないと書き、署名してから、破って店主に渡した。念書のつもりである。
それを一瞥した店主は、大きく欠伸をしながら、目を閉じてしまった。
「もらっていって、ですね?」
「好きにしな」
私は言葉通り、好きにした。つまりその本を鞄に収めたのだった。礼を言い店を出ようとしたとき、店主が話し出した。
「続けて読まんこった。一話読んだら、一週間。最低でも三日は間を空ければ、まあ助かるかもしれん。駄目かもしれないが」
どうやら私に言っているらしい。
「わかりました」
と答え、その店を後にした私は、気になって仕方がない。
たまらず近くにあった喫茶店に飛び込み、鞄からその本を取り出した。
黒い革で装幀された表紙、背表紙には何も記されていない。最初からそうだったのか、それとも擦れて、消えてしまったとかもわからない。
開いてみると、意外なほど紙は新しい。くすみもなく、喫茶店の薄明るい光を照り返して、白く輝くほどである。誰かに読まれたどころか、ろくすっぽ開かれたこともないのでは、と思ってしまうほどだった。
ぱらぱらとめくろうとしたのだが、駄目だった。フランス綴じになっているのだ。
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